寛永十六年(1639年)、徳川三代将軍家光公の治世の下、「鶴屋」はここ佐賀三十六万石の城下町に創業しました。
初代善右衛門は、佐賀藩主鍋島公より御用御菓子司を仰せつかり、以来380年、その暖簾を現在に至るまで守り続けています。
天和年間には二代目太兵衛が、長崎の出島で南蛮渡来の製法を学び、佐賀に持ち帰ったとされており、佐賀出身の明治の元勲、大隈重信侯が愛した逸話も残る、佐賀県を代表する銘菓「丸房露」の元祖でもあります。
鶴屋は、南蛮菓子の老舗として、代々続く家業の伝統を守りながら、時代の変化に合わせ新たに挑戦を続けていく、温故知新の菓子づくりに今後も精進していきます。
【鶴屋菓子舗のあゆみ】
寛永16年 (西暦1639年) |
初代 善右衛門が創業、佐賀藩より御用御菓子司を仰せつかる。 |
天和年間 |
二代目 太兵衛が「丸房露」を長崎の出島でオランダ人より学び佐賀に持ち帰る。 |
文化7年 |
七代目 文右衛門の時代白山町より八丁馬場(現在の西魚町)へ移転する。 |
安政4年 |
九代目 伊兵衛の時代佐賀藩の斡旋・許可を得て俵屋と合流(合併)する。 その際、屋号は鶴屋とし、店の印は俵屋の小槌の印を継承する。 |
明治29年 |
十一代目善吉の時代、大隈重信侯が、亡母一周忌の法要の為の帰郷の折、 当店に立ち寄られた際に、茶菓として丸房露を召し上がられる。 その後、東京・早稲田の同侯邸に招かれ丸房露を製造した。 |
大正15年 |
宮内省より御菓子御用達を命ぜられ、特種紅白御紋菓を製造した。 その間納入完了まで6ヶ月に及ぶ。 |
昭和25年 |
12代目 五三、法人設立 |
平成元年 |
14代目 光昌、就任(現当主) 本店改装 |
【会社概要】
会社名 |
合資会社 鶴屋菓子舗 |
屋号 |
御菓子司 鶴屋 |
所在地 |
佐賀県佐賀市西魚町一番地 |
代表者 |
鶴屋十四代 堤 光昌 |
創業 |
1639年(寛永十六年) |
事業内容 |
菓子製造販売 |
店舗 |
本店・佐賀駅店 |